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インディ裏街道⑤

未明、スマホが振動した。
「鮫島が来たよ・・・・」
パセリさんの声が告げた。
心の奥に封印していた名を突然聞かされ、藤堂の呼吸が一瞬止まった。
窓の外を、救急車がけたたましいサイレンを鳴らし過ぎ去っていった。
音が消え去った後も、藤堂は頭の中で非常灯が激しく回転している気がしていた・・・・


後○園ホール。 
格闘技の殿堂と呼ばれ、男どもの情念が渦巻き染みついた、ある意味でパワー・スポットと言える場所だ。
だが、今夜はそんな厳かな空気は微塵も無い。
ホールの8割は醜悪な香水の臭いを振りまく若い女たちに占拠されていた。
リンクラス・インター 。
(ふざけた名前だ・・・・)
藤堂は不機嫌なオーラを隠すこともせず、ロッカーを乱暴に開けた。
゛職人〟藤堂はどんな依頼でも受ける。
今日のようにまったく魅力を感じない団体の試合だったとしても。
90年代にプロレスと総合格闘技を融合させる、といったテイストの興行がもてはやされた時代があった。
「興行」と言ったら彼らは怒るかもしれない。
一切のエンターテイメント性を排除し、あくまで真剣勝負である、というのが彼らの売りだった。
当時としては新鮮な発想であり、演出が加えられた従来のプロレスより人気があった時代が確かに存在した。
「秒殺」と言って試合開始直後に関節技で勝負が決するなどということが頻発し、むしろそれが真剣勝負である証であるかのように観客たちは〝錯覚〟し、驚嘆のため息をついたものだ。
だが、ただでさえ競技人口の少ない゛スポーツ〟が地味な試合を続けていても、客に飽きられるのは当たり前だ。
一部の熱狂的格闘技ファンと従事者以外は、早々と゛錯覚〟状態から覚めた。
一時は東京ドームを満杯にした疑似格闘技プロレスの団体は、ことごとく分裂、解散した。
ただ、エンタメと格闘技を分けて考えたい人間がいるのは当然であるし、現在でもストイックに格闘技に向き合う団体は確かに存在する。
「生き方」を商売にするようなもので、当たるかどうかは時代に左右されるだろう。
リンクラス・インターはそんな「真面目な」団体とは明らかに違っていた。
一応「真剣格闘技集団」を標榜していたが、質はかなり低い、と藤堂は感じていた。
90年代の所謂「U系」の選手は、鍛え上げられた素晴らしい身体をしており、それが人気の源になっていたことは間違いない。
男たちは逞しく美しい選手に魅了され、味も素っ気もない試合に熱狂したのだ。
だが、リンクラス・インターの選手たちといえばまるでダンス・ユニットのメンバーだ。
「やせマッチョ」がイケている時代なのだそうで、彼らにとって格闘技はオンナに受けるための手段にすぎないのでは、とすら思える。
実際、今夜の入りでも解るように、リンクラス・インターのファンは男率が非常に低い。
真黒なショート・タイツをリュックから出していると、後ろから声をかけられた。
「こんばんは、藤堂さん。今日はヨロシク。」
名は忘れたが、団体のマネージャーだった。
「今日の対戦相手のATARUは今売り出し中の有望株なんですよ。藤堂さんにはそこんところよく加味してもらってお願いしますよ。」
八百長をしろ、と暗に言っている。
(真剣格闘技集団が聞いてあきれるぜ・・・・)
藤堂は思ったが、黙っていた。
゛職人〟藤堂だからこそ入った仕事だ。
仕事に選り好みはしない。
それに今日の藤堂はどこか上の空だった。
夜明け前のパセリさんからの電話が気になっている。
「鮫島が夜中にいきなりやってきて、藤堂ちゃんはよく来るか、なんて聞いてくんの。こっちは寝てるところ起こされてなんだよって感じでいたんだけどね。」
藤堂は黒いタイツに足を通しながら、苦い記憶の海に溺れそうになっていた。
(あの時も黒タイツだった。)
鮫島の若く残酷な表情が脳裏に浮かび、藤堂は頭を激しく振った。
ニーパッドとシューズを装着し、そのままリングに向かう。
(とりあえず仕事だ・・・・・)


リングに向かう通路で藤堂に向けられる視線は寒々しかった。
ハンク・マッチョのビキニ・パンツ姿に熱い声援を送る者はいない。
あからさまに顔をしかめて顔をそむける者、恥ずかしそうにチラ見する者、じっと凝視する者、その3種類に反応は分かれるようだった。
確実に解るのは、自分は完全にアウェーであることだ。
突如チャラけたJポップが流れ、藤堂と反対の入場口にスポットライトが当てられた。
「ATARU入場!」
会場のスクリーンにタレントのような風貌のスポットが映し出され、黄色い声援の嵐に迎えられてATARUが姿を現した。
「キャーッ!アタルーッ!」
普段慣れている周波数とは全く別のわめき声に、藤堂は頭がクラクラした。
(なにがアタルだよ、お前らはラムかっつうんだよ・・・・)
派手なサテン地のガウン姿でATARUがひらりとリング・インした。
浅黒い肌と、今風に決めた髪型、ささやかな顎鬚、人を小馬鹿にしたような笑み。
AV男優のようだったが、藤堂はノンケAVを見ないのでそうは思わなかった。
ATARUがガウンを脱ぐと会場からひと際甲高い歓声が沸き起こった。
贅肉ひとつない絞られた身体。だが細い・・・・
藤堂は一瞬呆然となった。
ATARUのつまらない身体にはまったく興味はない。
藤堂の心に刺さったのは、白いボックス・パンツだった。
(鮫島・・・・)
藤堂が初めて本気で負けた相手、鮫島は、あの日白いボックスだった。
ゴングが鳴った。
ATARUはボクシングのフットワークと構えで間合いを詰めてくる。
あまりに隙だらけなその姿に藤堂はうんざりしたが、心は別のことに奪われていた。
学生時代、レスリング部とラグビー部を掛け持ちしていたという噂の鮫島。
まだ20歳を少し超えたくらいだろうに完璧なボディーだった。
(奴もボクシングの構えで俺に向かってきた・・・・)
ハッと気付くと藤堂はATARUにタックルをかましていた。
ATARUの゛やせマッチョ〟な身体が吹っ飛んでいた。
「ダウン!」
レフェリーがあわてて藤堂を止める。
ダウン・ポイントだかなんだか煩わしいルールは全く頭に入っていなかったが、(まずかったかな・・・・)と藤堂は内心で舌打ちした。
「ちょっと・・・・アンタ役目解ってんのか?」
団体員のレフェリーが小声で言う。
藤堂は(すまん。)と眼で合図して、コーナーで待機姿勢を取った。
ATARUがよろよろと立ちあがる。
タックル一発で相当ダメージがあったらしい。
鮫島は藤堂のタックルを真正面から受け、そして跳ね返した。
真に強い男の出現に藤堂の心は震え、歓喜した。
(いかん、いかん・・・仕事に集中!)
ATARUのへなちょこパンチに合わせて身体をくねらせる。
〝やられ職人〟藤堂にかかればチャラ男のパンチもタイソンのそれに見せることができる。
あの日、藤堂は最後までやられ演技をすることがなかった。
演技ではなく本当にやられていた。
強い男に叩きのめされる自分を初めて真に実感した。
あの屈辱、あの快感・・・・・・
気付くとATARUがリングに這いつくばっている。
(げっ・・・またやっちまったか・・・・?)
「あと一度のダウンで藤堂選手の勝利です。」
アナウンスが流れ、黄色い罵声の雨が藤堂に降りかかる。
「モッコリ野郎!しねー!」「ゴリラー!」「アタシのATARUになにすんのー!」
キーキー言いながらも、傷つくアイドルに激しく母性本能を呼び起こされる者もいるらしく、うっとりと涙ぐむ姿もチラホラ見られた。
「アンタがその気ならこっちも手があるから。」
レフェリーが憎悪のこもった目で藤堂を睨み、ATARUになにやら耳打ちしている。
(今日の俺はどうかしている・・・・)
パセリさんの電話のせいだ。
鮫島を忘れるため、鮫島から逃げるため、地下プロレスを去った俺なのに・・・・・
(鮫島が俺のことを聞いていた・・・・!?)
完膚無きまでに叩きのめされリングに倒れる俺の股間を踏みにじった鮫島・・・・
憎い鮫島・・・・・
突然股間に衝撃が走った。
ATARUの膝が股間にのめり込んでいる。
「ぐっ・・・・!」
全身を鎧のように鍛えあげた藤堂でも、金玉は強くできない。
藤堂の痛がりようにレフェリーがニヤッとする。
「ファール・カップしてないのか?どうりでヤラシイ股間だと思った。」
反則を取る気は無いらしい。
「手」ってこれか・・・・?
その場で跳躍して上がった金玉を落ち着かせる。
(解ったって。ちゃんと負けてやるから。)
ATARUのダンスのような足払いに大げさに倒れて見せる。
(さあ、へなちょこ関節技でもかけてくれ。痛がって見せるから。)
心のざわつきを抑えられない藤堂は早く試合を終わらせたかった。
ところがATARUはなんとうつ伏せの藤堂の股間を蹴りあげた。
「ごあっ!!!」
急所の激痛に藤堂はのたうった。
「キャー!ATARUひっどーい!」「ATARUエッチー!」
キンキン声と金玉の痛みにクラクラする。
レフェリーは一応ATARUを止めようとする仕草を見せる。
リングでくの字になりながら藤堂は鮫島に股間を踏みつけられた時の屈辱と、そしてなぜか甘い痛みを思い出していた。
『今時ブーメラン・パンツなんて、オッサンよく恥ずかしくないなぁ。それとも、このモッコりを見せたかったのか?んん?オラ、どうだ?』
鮫島の声と、精悍な、しかしどこまでも酷薄な面がはっきりと脳裏に浮かび上がる。
(ああ・・・・・・)
立ち上がった藤堂の眼に、ATARUが怯む。
明らかに目つきが違う。
そして目線を下方にやってさらにギョッとした。
藤堂は勃起していた。
黒いビキニ・タイツが卑猥な光沢を放って隆々と盛り上がっていた。
「イヤーッ!」「キーッ!」「なになになに!?」
客席は明らかに動揺し、混乱していた。
「さあ、ここに打ち込め!モヤシ野郎!」
藤堂は大股開きで仁王立ちになった。
呆然とするATARUとレフェリー。
「早くしろっ!!!」
藤堂の喝にATARUがハッとして突進してきた。
「わーーーーーー!!!!!」
涙目のイケメン野郎が奇声を上げながらジャンプした。
ATARUのジャンピング・ボール・バスト・パンチが藤堂の二つの玉にのめり込んだ。
「ぐふぅ・・・・・!!!!」
藤堂の勃起タイツが弧を描いてリングに倒れて行った。
ATARUのKO勝ちで試合は幕を下ろした。
明らかにロー・ブロウの反則なのだが、この団体ではそんなことはどうにでもなるらしい。
金玉の痛みによろよろと退場する藤堂に、
「オニイサン、カッコよかったよ!」「オトコラシイ!」
などと声をかける客も少数ながらいた。
(今日は職人藤堂、最悪の仕事ぶりだったな・・・・)


帰りの電車に揺られながら、藤堂はパセリさんの電話の続きを思い起こしていた。
「俺が不機嫌でいたらさ、鮫島の野郎、タイツ作るとか言い出してさ。こっちも商売だからありがたくお受けしましたけどね。夜中に採寸。俺の採寸は知ってるだろ?細かいからさ。大変だったけど・・・・・」
パセリさんのところで作るタイツは、ショート・タイツだけだ。
鮫島がショート・タイツ!?
「あの野郎、いい体だな~!あのエロさ。チンコ見たことある?すげーよ。あれは凶器だな!」
地下でチャンピオンだった藤堂を実力で負かした鮫島。
そのショックで地下を去った藤堂。
今、藤堂は何故自分が鮫島から逃げているのかはっきり自覚した。
(俺はあいつに犯されたいと思っているのだ・・・・・)
初めて自分を本当に痛めつけた生意気な若造。
よりにもよってそんな憎い敵に自分は欲情していたのだ・・・・
「鮫島の指定した色解るかい?なんと紫だよ!パープル!タカダ・パープル!エロいよね~!」
鮫島が紫のショート・タイツ!?
藤堂には眩しすぎて想像することもできなかった。
その後光が射すエロいシルエットに、藤堂は嵐のような嫉妬を覚え、あらゆる点で自分を凌駕する男の存在に恐れおののき、そしてどうしようもなく引き付けられた。
(鮫島・・・・もう俺を放っておいてくれ・・・・・・)
藤堂の煩悩まみれの苦悩を含め、何百という苦悩を詰め込んだ電車が都会を引き裂いて疾走していった。


つづく













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